桂歌丸さん生誕90年「一番先に円楽の墓行ってやろうか」秘蔵映像に爆笑の本音
落語家の桂歌丸さんが2018年7月2日に81歳でこの世を去ってから8年。8月14日の誕生日に、生誕90年の節目を迎えたことを受け、日本テレビに残る秘蔵映像でその素顔が改めて紹介された。
映像に収められているのは、落語家生活60周年を迎えた2011年のインタビュー。当時75歳だった歌丸さんは「あと60年生きたい」と笑顔で夢を語っている。2011年9月16日には、青森・八戸市公会堂で開催された落語芸術協会『復興支援はちのへ寄席』に、岩手・衣川村(現・奥州市)出身の弟子・桂枝太郎さんらと出演。「ほんのちょっぴりでもいいですから心の支え、あるいは心の癒やしになれば」と願いを込めていた。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 高座では「噺家になりまして、今年でちょうど60年を迎えさせていただきました」と挨拶し、「この60年というのは、自分にとっての折り返し地点だと思ってます。あと60年生きたいんです」と続けると、客席は笑いと拍手に包まれた。
当時、落語芸術協会の会長を務め、自身の落語家生活60周年で多忙な日々を送っていた歌丸さん。「増えるのは病院の診察券と薬ばかりで、減っていくのが寿命と髪の毛ですよね。がっかりしちゃう、嫌になっちゃう」とぼやきつつも、『笑点』の司会者として番組の50周年(2016年)までの意気込みをこう語っていた。
「笑点も今年で(放送開始から)45年。あと5年で50年ですからね。とにかく50年まで頑張ろうってみんなで言ってるんですけどね。50年まで頑張るってあとで考えてみたら、あと5年たつと私80(歳)になって、まだ司会やってるのかしらと思うとね(笑) 第1回から出てるの私だけになっちゃいましたんでね。もっと細かく言うと笑点の前身の『金曜夜席』、あれから出てるのも私だけになっちゃいましたしね」
歌丸さんが色紙を頼まれた際に、サインと共によく書いていたのが『笑いのある人生』という言葉。落語の魅力について「ずばり笑いでしょうね。笑いであり義理人情」と語っていた歌丸さんは、笑いの本質についても持論を展開している。
「人間だけに与えられた特権ですもんね。人間だけが笑うことができる。人間だけにできるものをやっぱり活用って言っちゃ変な言い方ですけど、しなくちゃつまんないと思いますよね。しゃべるほうの立場として、怒らせることと泣かせることは簡単なんですよね。笑わせることってのは、すげえ難しいですよね。ましてこういう世の中だと特にそうですよね」
さらに「私たちは、私はですよ。笑わせるんじゃないんですよね、笑っていただくんですよね」と続け、「落語をしゃべるんじゃないんですよ、しゃべらせてもらうんですよね」と、お客様あっての商売という哲学を明かしている。
そして、このインタビューのハイライトと言えるのが、『笑点』の大喜利で長年にわたり丁々発止のやり取りを繰り広げてきた六代目三遊亭円楽さん(2022年9月30日、72歳で死去)への“歌丸節”さく裂の場面だ。
「あのね、私のこの(落語家生活)60周年は、私にとっての折り返し地点だと思って、私はあと60年生きたい。あと60年生きてると、まだまだやりたい噺も数多くあるわけですよね、全部できると思うんです。もうひとつの望みはね、あと60年生きてて、『笑点』の回答者のメンバー、あの人たちのお墓参りがしたいと思ってね(笑) 一番先に円楽の墓行ってやろうかと思って(笑)」
円楽さんにかける言葉を聞かれると「日頃の恨みを晴らす(笑) あげるお花も『クロユリ』かなんかあげてね、怒るだろうね(笑)」とニヤリ。さらに「いま75歳で60年後は135歳、目指すは135歳?」との問いには「そうですね、生きられますよ(笑) そうとも思わなきゃ、ばかばかしくてやっちゃいられない(笑)」と、ユーモアたっぷりに応じている。
小学生のとき落語家を夢見て以来、落語一筋。『笑点』でただひとりの“生え抜き”メンバーとして番組と共に歩み、“日曜夕方の顔”として日本の笑いを支えた歌丸さん。2016年に『笑点』を卒業した後も引退することなく、落語の道を究め続け、81年の人生の幕を閉じるまで“生涯現役”を貫いた。その姿は、今もなお多くの人々の心に笑いと感動を刻み続けている。
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